石川県立看護大学 看護学部 川島和代さん
みなさま、こんにちは。今回担当の石川県立看護大学川島和代です。 2回シリーズで上野栄一先生が“研究の魅力”について述べて下さいました。前々回のブログでは、研究について「必ず自分の目で見てみること」と言われたという体験を述べておられました。大変共感します。実は、私はこの11月、関わっている認知症高齢者が暮らしておられるグループホームにおいて、利用者・職員のコロナウイルス感染症のクラスター発生に対応するという体験をいたしました。人手不足のため、私も休暇をとり、四半世紀ぶりに施設看護師として4日間連続で勤務することになったのです。 外からグループホームを利用されている高齢者の生活を見ているのと、1スタッフとして感染症に罹患し体調変化した高齢者の方々の生活を援助するのとではまるきり異なる感覚で現象を見ておりました。現場はまさに多重課題であり、利用者の生活スタイルに合わせたタイムスケジュールの管理が求められ、瞬時の判断が求められることを実感できました。まさに自分の目で見て、体験することの重要性を教えられたのです。 どのタイミングでどのような食事内容をどのような食器で召し上がっていただければ食事が進むのか、トイレにどのタイミングでお連れし、いつ休息をとるよう援助したらよいのか相手の反応を確認しながら関わりました。また、抗ウイルス薬や鎮咳去痰剤、ステロイド等の薬剤の影響を考慮しながら全身状態の観察を求められました。その方にとって未知のウイルス感染は経験知だけでは援助することは難しく、普段の様子を含めて医師に的確に情報を伝え、服薬の影響による食欲不振か、感染症による発熱に伴う脱水による活気の低下か、24時間の責任あるケアを担う者でなければ見えないプロセスがあることを実感したのです。また、輸液の説明にもその人の特徴に合わせた説明が必要でした。抜針されないよう腕をさすりながらの見守りも必要でした。看護師がソーシャルディスタンスを取ることは実際には困難であると思いました。参加観察による観察者の頭と実践者の頭の差異はこれだと実感しました。 質的研究においても、実践者の立場に立ってみないと真の現象は明かにできないのではないのかと改めて学ぶことができました。当方は質的研究の難しさ、いくら現象を子細に語って頂き、新たな概念を生成しても現場では使うことが難しいという体験をしてまいりました。「自分の目で見てみること」に加えて、実践の科学とされる看護学は、目の前の対象に責任をもって判断する体験なしには看護実践の価値は明らかにし得ないのではないかと、今、新たな研究方法への思いを巡らせているところです。 今日の日本海は荒れ、どんよりした鉛色の空は北陸に本格的な冬の到来を告げています。
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