公立小松大学保健医療学部 油野規代さん
公立小松大学に勤務しています油野と申します。 突然ですが、高齢者の介護問題は深刻です。90歳の一人暮らしの母を遠距離で世話をしています。辛くもあり、楽しくもある私と母との日常について、皆様にお話したいと思います。
母は、同じ石川県でも私の住んでいる小松から遠く離れた、石川県の最先端の奥能登、珠洲市に住んでいます。ですから、私が母の世話をしに行くには金沢駅までJRで30分。終点珠洲までは特急バスで3時間半と自宅を出てから片道約5時間かかります。5時間かけて行ける海外はどこかと調べた所、羽田から香港までの飛行時間とほぼ同様でした。 実家に行く際は、出発直前に電話を入れます。前もって連絡をすると、何日も前から母が私の帰りを待つからです。待たせる分、母の期待は大きくなり、あれもこれもと用事を作るからです。直前の電話でも布団に入らないで私が着くのを待っています。夜の9時頃に実家に着いて、母の何かしらの手料理を食べます。そこまでは良いのですが、延々と母の話が夜中まで続きます。最近の近所の出来事から、デイケアの話、子どもの頃の話が続きます。何度となく聞いた話なので、適当に相槌を打っていると「聞いているのか」と言われ、自分のしゃべりたいことだけを話し、翌日の予定を私に伝え自分の部屋に入っていきます。もうこの時点で、私はまたかぁー、と疲れてしまいます。 翌日は畑作業もあります。今年はジャガイモ堀から始まり、玉ねぎ、サツマイモ堀を私は初めて経験しました。畑仕事は腰を伸ばすこともできず大変な作業と実感しました。昨年までは母が一人でやっていたのですが、今年の3月に心不全で入院、続いて腰椎の圧迫骨折をしてからは、すっかり畑仕事ができなくなり、少し動くと「あーつらい。あーつらい」と言って横になります。病気や怪我がなくとも90歳には、農作業はこたえます。そう考えると、今まで一人で畑を守ってきた母に尊敬と感謝の気持ちは感じるのですが、頑固な母と2、3日一緒にいるとイライラしてきます。 先日も、奥能登国際芸術祭に母を連れていきました。最初は私一人で行く予定でした。母が自分の予定を終了し、私を解放してあげると言ったので、ヤッターと思っていたら、玄関まで出て来て、「こんな機会もないだろうから、私も行く」と言いました。杖を突きながら展示物を見るのは大変なのにと内心思いましたが、母は車の助手席で上機嫌です。母が通っているデイケアの施設の前を通ると「ここ、ここや」と、説明を始めました。そして、目当ての山本基さんの『記憶の回廊』を見に行きました。真っ青に塗られた壁や廊下、天井に描かれたドローイングは圧巻でしたが、母は「上手に壁紙を貼ってある」と言い、描いた人たちの苦労に気づいていない様でした。さらに困ったことに、迷宮の奥に塩で固めたオブジェがあったのですが、「塩で出来ているんだよ」と母に説明すると、腰をかがめて座り込み場所を変えて手で触り、なめるではないですか。その挙句「しょっぱくない。これは塩ではない」を繰り返し、周りに人が居るにもかかわらず大きな声で話すではないですか。さすがに私も、この母の行動に注意をしましたが、やっぱり一緒に来なければよかったとつくづく思いました。すれ違う子ども達には母は必ず「あら、かわいい。何歳…」と声をかけます。そうすると、一緒にいる親御さんは悪い気はしないらしく、返事が返ってきます。人との付き合い方を承知しているなかなかの知恵者と感心させられます。 また、賞味期限が切れた食材が冷蔵庫にたくさん残っているので、私が捨てようとすると「消費期限が過ぎた年寄りが食べるんだから大丈夫。お腹なんか壊さん。」と訳の分からない理屈をつけて捨てさせてくれません。しかし、その言葉に私はなるほどー、と母を見て納得しています。 昨年からのコロナの影響で、私が実家に帰ると母はデイケアを休みます。県内からの帰郷でも1週間は施設に行くことができないようで、それが母にとっては好都合のようです。デイケアのズル休みの良い理由にしているようです。私にすれば、お風呂に入れてもらって、お昼を食べて健康管理をしてもらえるのにと思いますが、自由に過ごせないことが窮屈なようです。一人暮らしなので少しでも助けを借りて不安が無いように過ごして欲しいと思うのですが、私の思うようにはいきません。 学会員の皆様の中にも、ご両親の介護で苦労をされた方もいらっしゃると思います。地域包括ケアシステムの中で、支えられながら自立した生活を送っている母ですが、口癖のように言うのは「一人でご飯を食べるのは美味しくないよ」と、これが本音だと私は思います。 そんな母ですが、近所の方に支えら、体が動く間は今後も一人暮らしを続けて欲しいと思っています。
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