本稿では研究の魅力についてのべてみたいと思います。2回シリーズでお送りします。
看護研究の歴史
看護研究は、いつから始まったかというとナイチンゲールが初めて実施しました。ナイチンゲールはクリミア戦争で実態調査をして鶏頭グラフを示し、病院内で死亡する大多数は感染症だったのです。このグラフは現在のソフトを使ってもなかなか描画できないほど精緻な図です。日を改善することによる研究から始まったと言われています。
当時も今も感染症との闘いは同じです。しかしながら現代は、診断学や遺伝子の配列の同定は現代の科学では、新型コロナウイルスの場合は100日ほどで解明できる時代になっています。電子顕微鏡の開発もウイルスをクリアにとらえることのできる時代になってきました。これにより感染症対策が科学的にできる時代になってきたと言えます。
看護は学際的な学問という特徴があり、人間を全体的にみることが特徴であり、また患者の反応をみることが重要となります。看護研究の定義には、様々なものがありますが、私は「疑問を明らかにすること」とシンプルに定義をしています。現象学的に言うと「起こっている現象を明らかにする」ということになります。研究は、人々の健康に貢献するものであり、人々の安寧を提供するものであると考えています。これは私のresearchマインドともなっています。ノーベル賞を受賞された先生方の問はすべてが明らかにすることです。
私が学生だった時に、大陸移動説を習った時のことです。ウエゲナーという気候学者がいて、プレートテクトニクス理論を提唱しました。これは驚きです。きっかけは地図を見ていた時にアフリカと南アフリカが海岸線をたどると一致するというものであった。彼の仮設は、大陸はもともと一つの大陸だったというものであった。これを証明するために彼は貝の化石を調べて、海岸線が一致することを証明するのですが、学会では認められなかったということですが、現在は衛生やGPSの発展により実際に動いていることが証明されています。この理論はプレートテクトニクス理論となり、今の地震学の発展に寄与し、防災に役立っています。
このように、研究は人々の生活に大きな貢献をするということになります。
さて、看護研究は実践と教育にリンクしており、研究は看護の質をあげると私は思っています。
看護研究の特質
看護研究は学際的な側面を持ち多次元的に人間の評価をすることになります。
看護研究には大きく分けると量的研究と質的研究があります。
私が学生だった頃、研究について「必ず自分の目で見てみること」を言われたことがあり、教科書を中心に学習していた私ははっと我に返ったことがある。私はこの文言が大好きである。看護では経験値や暗黙知があり、技術の伝授はまさにこれだと思うことがあります。看護サービスの特徴には人見るときはトータル的にみることは大切です。全体論的な考えは筆者も大変好きである。東洋的な考えともいわれることがあります。
研究は人のある側面を研究するという特徴があります。身体的、精神的、社会的、スピリチュアル的な側面からみることになります。
奈良の鹿について
ここで奈良公園の鹿について観察したことを少し紹介します。
奈良の鹿を見ると、家族(親子)で体を休めたり散策している(多分、散歩)のが目立つ。何をみているかというと鹿のお母さんは、小鹿をじっとみていて、道路に飛び出すと一緒に飛び出していた。危ないと思っていると、車の方が止まっていた。ホッとしました。ある場所ではお母さん鹿とバンビは一緒に横断歩道を渡っていた。奈良公園には「鹿 飛び出し注意!」の交通標識がいたるところにある。学習している鹿とそうでない鹿がいる感じがします。時間があれば調べてみたいですね。
質的研究と量的研究
次に、質的研究と量的研究の特徴について述べます。
質的研究は数値で表せないもの、言語データが基本です。自分が測定者となります。
質的研究の醍醐味は現象から新しい概念が生成されることと思っています
一方、量的研究は数値をデータとして解析するものです。特徴としては測定するツールがあるということです。例えば、体重は体重計で測定する。脳波は脳波計があります。バイタルサインもすべて測定器があります。解析は統計解析ソフトがあります。
質的研究は仮説を生成します。結果図にはカテゴリーが布置されています。図にすることが、横軸と縦軸が表現されており、カテゴリー間の関係が → で示されています。
これは仮説が明示されているところです。質的研究はその研究が完結するものではなく継続することが重要となります。
つまり質的研究と量的研究は、一つ一つ独立した研究ではなく結び付いているということになります。
第1回目は研究の基本についてお話をさせていただきました。
今後の研究に少しでもご参考になればと思います。