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第36回近畿・北陸地方会学術集会を終えて2023/03/16(木) 17:40:22 RSSにてレス一覧を表示
大阪公立大学大学院看護学研究科山口 曜子さん
クリックにて拡大表示第36回近畿・北陸地方会学術集会を、3月5日にキャンパスプラザ京都で開催しました。約3年前からのCOVID-19の感染拡大に伴い、対面による地方会学術集会は暫く見合わせられていましたが、昨年10月の世話人会で、京都大学 若村智子先生を大会長に今年度の近畿・北陸地方会学術集会を開催することが決まりました。その企画と運営を手伝うことになり、開催までの5か月という短い期間で準備を行いました。従来の学会形式にとらわれることなく準備も身軽に、という若村先生の考えから、参加費なし、非会員の参加も可とし、プログラムの内容は、感染による活動制限緩和から研究活動が再開できる喜びを表し、看護研究学会の地方会という立場から「研究」というワードで、日頃の学生指導において論文作成で押さえて欲しいことと、若手の講演の場の提供を考えました。学術集会のプログラムは、メインテーマを「さあ、研究始動!」とし、2つの講演と論文執筆に関する「ガイドライン」の紹介と「ジャーナルクラブ」を企画し、研究成果を論文で報告するための知識の共有と議論の場としました。演者をどうするかでしたが、地方会世話人会の皆様に協力をお願いし、4つの「ガイドライン」と6つの「ジャーナルクラブ」、2つの交流集会の演者をご推薦頂きました。ジャーナルクラブでの文献は、日本看護研究学会誌の日本語論文から選んで頂くようにお願いしました。テーマと演者が決まれば何とかなる、という企画委員メンバーなので、仕事の合間の打ち合わせとLINEのやりとりで学術集会の当日を迎えました。
 3月5日、10時の受付開始から多くの参加者があり、感染予防を踏まえ準備した3つの会場の席が概ね埋まっており安堵しました。後は、演者と参加者がそのセッションの主催者となり進めて頂くのでお任せしました。私は実行委員のため、じっくりプログラムに参加できませんでしたが、熱心に講演を聴く姿や質問される皆様の姿を拝見できました。会場ですれ違う参加者や学生から、藤井先生の信頼区間の講演は大変勉強になった、中村先生の講演はナイチンゲール病院建築の課題や貴重な資料が興味深かった、講義型や解説型の形式であったガイドラインとジャーナルクラブでは、論文はあのように話し合うことで理解が深まっていくことがわかった、ディスカッションの時間がもっとあれば、との感想を聞くことが出来ました。2つの講演は、地方会の研究セミナー活動として後日Web配信されるので楽しみです。交流集会は、中小規模病院の看護研究教育から学会発表へのシステム構築の活動紹介と、体組成計や血流計等の測定機器を使用した研究の実際と留意点で、研究者の経験や機器操作の実演を交え意見交換がされました。測定機器については、集会終了後も質疑応答が続き、生体データに関する研究に参加者の関心の大きさを感じ、このような研究成果が臨床看護師のアセスメント能力の向上に繋がるように、活発になることを期待したいと思いました。
当日の参加受付者は76名でしたが、会場の状況から100名以上の参加があると思われました。参加後のアンケート(45名)では、会員と非会員はほぼ半々で、年代別は20・30歳代が約30%、40歳代が約20%、所属は大学院生(修士・博士)が40%、教育・研究機関が40%でした。これからの看護の研究を担う若手研究者や現在学ぶ院生の参加が多く、学術集会の満足度は“大変満足”と“やや満足”を含め97.8%、今後の研究活動に活かせるかは“とても”と“やや”を含め100%でした。また、参加者からは、資料がどこにあるかわかりづらかった、各テーマの時間が不足気味でもう少し意見交換ができる時間が欲しかった等の反省すべきご意見を頂きました。一方で、興味深い分野で学習刺激を受けた、無料でいいのかというほどの質だった、参加しやすく楽しく学べた等、嬉しい感想も頂きました。入会したいとの感想もあり、本学から参加した院生も入会してくれました。今回の学術集会は、自分たちが論文査読や研究指導において、論文作成で共通認識の必要性があると感じる内容をプログラムとし、参加者の皆様の反応も良く、有益な時間を共にできたことを嬉しく思います。
最後になりますが、前日の世話人会後の食事会では、懐かしい先生方や初めてお目にかかる先生方と交流ができ、やはりこういった会もいいものだなぁと思いました。また、仕事帰りに京大に寄り、あれやこれやと言いながらの準備作業で、気が付けば日にちが変わっていたこともあり、今となっては楽しい思い出です。
いろいろ行き届かなかった点もあったかと思いますが、参加者の皆様のご協力により大きなトラブルもなく終えられたことを感謝申し上げます。ありがとうございました。次年度の敦賀での第37回近畿・北陸地方会学術集会を楽しみにしております。
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看護実践の価値を明らかにするとは2022/12/20(火) 12:49:16 RSSにてレス一覧を表示
石川県立看護大学 看護学部 川島和代さん
みなさま、こんにちは。今回担当の石川県立看護大学川島和代です。
2回シリーズで上野栄一先生が“研究の魅力”について述べて下さいました。前々回のブログでは、研究について「必ず自分の目で見てみること」と言われたという体験を述べておられました。大変共感します。実は、私はこの11月、関わっている認知症高齢者が暮らしておられるグループホームにおいて、利用者・職員のコロナウイルス感染症のクラスター発生に対応するという体験をいたしました。人手不足のため、私も休暇をとり、四半世紀ぶりに施設看護師として4日間連続で勤務することになったのです。
外からグループホームを利用されている高齢者の生活を見ているのと、1スタッフとして感染症に罹患し体調変化した高齢者の方々の生活を援助するのとではまるきり異なる感覚で現象を見ておりました。現場はまさに多重課題であり、利用者の生活スタイルに合わせたタイムスケジュールの管理が求められ、瞬時の判断が求められることを実感できました。まさに自分の目で見て、体験することの重要性を教えられたのです。
どのタイミングでどのような食事内容をどのような食器で召し上がっていただければ食事が進むのか、トイレにどのタイミングでお連れし、いつ休息をとるよう援助したらよいのか相手の反応を確認しながら関わりました。また、抗ウイルス薬や鎮咳去痰剤、ステロイド等の薬剤の影響を考慮しながら全身状態の観察を求められました。その方にとって未知のウイルス感染は経験知だけでは援助することは難しく、普段の様子を含めて医師に的確に情報を伝え、服薬の影響による食欲不振か、感染症による発熱に伴う脱水による活気の低下か、24時間の責任あるケアを担う者でなければ見えないプロセスがあることを実感したのです。また、輸液の説明にもその人の特徴に合わせた説明が必要でした。抜針されないよう腕をさすりながらの見守りも必要でした。看護師がソーシャルディスタンスを取ることは実際には困難であると思いました。参加観察による観察者の頭と実践者の頭の差異はこれだと実感しました。
質的研究においても、実践者の立場に立ってみないと真の現象は明かにできないのではないのかと改めて学ぶことができました。当方は質的研究の難しさ、いくら現象を子細に語って頂き、新たな概念を生成しても現場では使うことが難しいという体験をしてまいりました。「自分の目で見てみること」に加えて、実践の科学とされる看護学は、目の前の対象に責任をもって判断する体験なしには看護実践の価値は明らかにし得ないのではないかと、今、新たな研究方法への思いを巡らせているところです。
今日の日本海は荒れ、どんよりした鉛色の空は北陸に本格的な冬の到来を告げています。
1  [管理者により削除] 2023/03/16(木) 17:37:23
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研究の魅力 第2回 研究は仮説検証のプロセス2022/10/31(月) 18:26:07 RSSにてレス一覧を表示
奈良学園大学 保健医療学部 上野栄一さん
クリックにて拡大表示皆様お元気ですか。ここ奈良も朝晩寒くなってきました。久しぶりに二月堂に行ってきました。多くのカメラマンが撮影をしていました。二月堂は奈良のとても人気のある観光スポットとなっています。ここにいると、別世界にいるような感じです。
さて、第2回は、看護研究は仮説検証のプロセスであるということを述べたいと思います。

仮説検証型の研究は量的研究の代表的な看護研究デザインです。
仮説は、これまでの科学史を支えてきたとても重要な命題です。
これは現象Yがあるとすると、その前提要因には、Xがあるという考え方です。XならばYであるという仮説が成り立ちます。質的研究が仮説を生成するということは、カテゴリーが生成され、統計学的に言うと、カテゴリーが変数になることを示します。
例えばストレスが精神状態に影響を与えるということを調べる時に、最初はストレスの定義がありませんでした。この時にどうすればよいかというと、ストレスとは何かについて明確にすることから始まります。現在、ストレスの研究はかなり進んでおり、ストレスがうつ状態を引き起こすことは知られているとこですが、セリエをはじめ先人たちがストレスについて解明し、測定ツールを開発したからこそ、証明されました。このように研究には順番があります。このためには、研究テーマを決める時には、研究しょうとする概念(変数)の定義が存在していて、測定することができるかどうかによって、量的研究ができます。
このことから研究テーマや研究デザインを決める時には、文献をよく調べ、明らかにしょうとする事象の概念が存在しているかを確認することが重要となります。次に、質的研究によって生成されたカテゴリーは、複数抽出されますが、結果図では、AカテゴリーがBカテゴリーに影響を与えるということが→(矢印)で示されています。Aの事象がおこればBの事象が本当に起こるのかを検証することになります。最近は文献レビューの研究が多くなってきました。この研究デザインは研究をするにあたり、大変有用で、研究課題の探索やこれまでの研究をまとめて検証ができるメタアナリシス的な特徴をもっています。量と質は違うと思う人は多いと思いますが、実は質的研究と量的研究はつながっています。例えば、下記のような結果図があるとします。質的研究で生成されたカテゴリーは現象の概念化であり、形となっているので、量的研究によって検証ができます。その方法には、AならばBであるといった仮説を立て検証ができます。検証するための方法としては、カテゴリーA,B,C,DについてAならばB、BならばC、DならばCという仮説を検証することができます。カテゴリーの中で既存の開発された尺度があれば、その尺度を使うことができます。

Y軸は、レジリアンス、X軸は時間経過を表しています。質的研究では、結果図としてカテゴリー間の関係性を線で結ぶことができます。また、矢印で関連性を示すことができます。
図を見ると、ここには、5つのカテゴリーが記載されています。
この5つのカテゴリーは、時間にそって5つのカテゴリーが抽出され、また時間軸にそって配置されいます。これをみると仮説を示した図になっていて、量的研究でいう重回帰分析あるいはAMOS(共構造文分散分析)を表示しているようにみえます。
ここでこのカテゴリー間の関係性を実証する方法には、筆者は3通りあると考えています。1つは事例研究です。2つ目は仮説検証型の研究、3つ目は実験研究です。
看護は人間の反応を診断して、ストレングスそして看護問題を抽出して(アセスメント)、ケアを行います。アセスメントの中で人を観察して情報を得る時には、言語的なメッセージだけではなく、バイタルサインをはじめ、血清データ、心電図などの測定値も参考にしながら患者さんの問題点を同定していきます。つまり質的データと量的データを集積(プール)してアセスメントします。人間を見る時には、量的データも質的データも重要ということです。看護研究は、看護現象を明らかにすることです。そのためには、質的研究と量的研究手法の両方が重要となります。
これまで2回にわたり看護研究の特徴や素晴らしさをお話ししてきました。
最後に皆様のご健康と今後のご活躍を祈願いたします。御拝読ありがとうございました。
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研究の魅力  第1回 看護研究とは2022/07/20(水) 19:26:56 RSSにてレス一覧を表示
奈良学園大学 保健医療学部 上野栄一さん
クリックにて拡大表示本稿では研究の魅力についてのべてみたいと思います。2回シリーズでお送りします。

看護研究の歴史
看護研究は、いつから始まったかというとナイチンゲールが初めて実施しました。ナイチンゲールはクリミア戦争で実態調査をして鶏頭グラフを示し、病院内で死亡する大多数は感染症だったのです。このグラフは現在のソフトを使ってもなかなか描画できないほど精緻な図です。日を改善することによる研究から始まったと言われています。
当時も今も感染症との闘いは同じです。しかしながら現代は、診断学や遺伝子の配列の同定は現代の科学では、新型コロナウイルスの場合は100日ほどで解明できる時代になっています。電子顕微鏡の開発もウイルスをクリアにとらえることのできる時代になってきました。これにより感染症対策が科学的にできる時代になってきたと言えます。
看護は学際的な学問という特徴があり、人間を全体的にみることが特徴であり、また患者の反応をみることが重要となります。看護研究の定義には、様々なものがありますが、私は「疑問を明らかにすること」とシンプルに定義をしています。現象学的に言うと「起こっている現象を明らかにする」ということになります。研究は、人々の健康に貢献するものであり、人々の安寧を提供するものであると考えています。これは私のresearchマインドともなっています。ノーベル賞を受賞された先生方の問はすべてが明らかにすることです。
私が学生だった時に、大陸移動説を習った時のことです。ウエゲナーという気候学者がいて、プレートテクトニクス理論を提唱しました。これは驚きです。きっかけは地図を見ていた時にアフリカと南アフリカが海岸線をたどると一致するというものであった。彼の仮設は、大陸はもともと一つの大陸だったというものであった。これを証明するために彼は貝の化石を調べて、海岸線が一致することを証明するのですが、学会では認められなかったということですが、現在は衛生やGPSの発展により実際に動いていることが証明されています。この理論はプレートテクトニクス理論となり、今の地震学の発展に寄与し、防災に役立っています。
このように、研究は人々の生活に大きな貢献をするということになります。

さて、看護研究は実践と教育にリンクしており、研究は看護の質をあげると私は思っています。

看護研究の特質
看護研究は学際的な側面を持ち多次元的に人間の評価をすることになります。
看護研究には大きく分けると量的研究と質的研究があります。
私が学生だった頃、研究について「必ず自分の目で見てみること」を言われたことがあり、教科書を中心に学習していた私ははっと我に返ったことがある。私はこの文言が大好きである。看護では経験値や暗黙知があり、技術の伝授はまさにこれだと思うことがあります。看護サービスの特徴には人見るときはトータル的にみることは大切です。全体論的な考えは筆者も大変好きである。東洋的な考えともいわれることがあります。
研究は人のある側面を研究するという特徴があります。身体的、精神的、社会的、スピリチュアル的な側面からみることになります。

奈良の鹿について
ここで奈良公園の鹿について観察したことを少し紹介します。
奈良の鹿を見ると、家族(親子)で体を休めたり散策している(多分、散歩)のが目立つ。何をみているかというと鹿のお母さんは、小鹿をじっとみていて、道路に飛び出すと一緒に飛び出していた。危ないと思っていると、車の方が止まっていた。ホッとしました。ある場所ではお母さん鹿とバンビは一緒に横断歩道を渡っていた。奈良公園には「鹿 飛び出し注意!」の交通標識がいたるところにある。学習している鹿とそうでない鹿がいる感じがします。時間があれば調べてみたいですね。

質的研究と量的研究
次に、質的研究と量的研究の特徴について述べます。
質的研究は数値で表せないもの、言語データが基本です。自分が測定者となります。
質的研究の醍醐味は現象から新しい概念が生成されることと思っています
一方、量的研究は数値をデータとして解析するものです。特徴としては測定するツールがあるということです。例えば、体重は体重計で測定する。脳波は脳波計があります。バイタルサインもすべて測定器があります。解析は統計解析ソフトがあります。
質的研究は仮説を生成します。結果図にはカテゴリーが布置されています。図にすることが、横軸と縦軸が表現されており、カテゴリー間の関係が → で示されています。
これは仮説が明示されているところです。質的研究はその研究が完結するものではなく継続することが重要となります。
つまり質的研究と量的研究は、一つ一つ独立した研究ではなく結び付いているということになります。

第1回目は研究の基本についてお話をさせていただきました。
今後の研究に少しでもご参考になればと思います。
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研究の「向こう側」2022/05/28(土) 11:56:16 RSSにてレス一覧を表示
福井県立大学 看護福祉学部  矢島 直樹さん
皆様こんにちは。今回リレーブログを担当させていただくことになりました、福井県立大学の矢島と申します。
皆様は作業のお供に何かを聞きながら作業するということはありますでしょうか。私は音楽のほか、動画サイトをラジオ代わりに流しながら作業することがあります。その時によく流している動画チャンネルが書籍になっており、その中で研究の「向こう側」の面白さを感じることがあったので、皆様と共有できればと思い書かせていただきます。
私は修士では手指衛生についての研究を行いました。手指衛生の研究をしたことがある方ならゼンメルワイスの名前はどこかで登場したことと思います。ゼンメルワイスは著書『産褥熱の病理』の中で、助産師が新生児を取り上げる第2病棟より、医師が取り上げる第1病棟の方が妊婦の産褥熱による死亡率が高いことに注目して、そこから手指の十分な洗浄と消毒(当時は塩素水)の徹底で第1病棟の産褥熱による死亡率を大きく下げることに成功しました。このことが現在に至るまでの手指衛生の必要性を語る上での歴史の転換点となったことは、多くの人に知られていることです。
一方で、偉大な事実を発見したゼンメルワイスのその後はというと、現在知られている功績からはとても考えられない人生を辿ります。病原菌の存在が発見されるより以前のため、当時の医学会には受け入れられず、勤務していた病院を追放され、自身の主張を繰り返すも聞き入れられず、失意のうちに敗血症で亡くなりました。死後に病原菌の存在が発見されたことでようやくその功績が認められることになりましたが、その人生は数奇な運命をたどったと言えるでしょう。
現在の私たちの知る事実や研究の「向こう側」には、その時々の社会背景や著者の物語があるということに思いを馳せると、日々目にする論文の向こうにあるそれぞれのドラマを感じられます。この本は著者の私見や考察が入っており科学的とは言えないかもしれませんが、新しい視点で物事を考えることができ、面白い体験ができました。
私はこの著者とは何ら関係がありませんので宣伝をしてもしょうがありませんが、興味を持たれた方はご一読ください(https://www.kadokawa.co.jp/product/322012000573/)。
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